「コラム」第11回 朝鮮王朝の建国 /康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

骨肉の争い

高麗王朝の時代とは都と国教をガラリと変えた朝鮮王朝。ここに新たな王朝の基盤が築かれたのである。

しかし、その足元はグラグラと揺れていた。なにしろ、李成桂の息子たちが後継者の座をめぐって骨肉の争いを繰り広げたからである。

李成桂は最初の夫人との間に芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)という6人の息子がいた。しかし、最初の夫人は1391年に亡くなっており、李成桂は二番目の夫人との間に芳蕃(バンボン)、芳碩(バンソク)という2人の息子をもうけた。

このように、李成桂には8人の息子がいたが、この中で彼が世継ぎに指名したのは、まだ10歳にすぎなかった8男の芳碩だった。

いくら幼くても次代の王朝を継ぐにふさわしいと李成桂が芳碩を見込んだわけだが、この異例の指名は、先妻の息子たちの憎悪に火をつけた。特に、李成桂が高麗王朝を滅ぼす際に功績があった5男・芳遠の怒りはすさまじかった。

「父を助けて朝鮮王朝の誕生に貢献したのはオレだ。それなのに、異母弟の芳碩を跡継ぎにするなんて、父は何を考えているのか。絶対に納得できない!」

気性が激しい芳遠は、クーデターに打って出た。

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2016.11.04