●近くて近い国
結果的に、韓国側から押し切られた形で、日本の地方と韓国を結ぶ国際路線が北は札幌から南は沖縄までそこかしこにできましたが、結局はその路線のおかげで、今日、韓国の観光客が日本に押し寄せ地方都市の活性化に貢献しているのですから、譲歩した形はとりましたが、長期的観点から実を取った日本政府のしたたかさ(?)が見え隠れします。
何しろ当時一九九〇年代は、地方都市の国際化ブームでしたから、韓国の航空会社は引っ張りだこで、ある地方都市を訪れたときはテレビカメラが回るは、新聞雑誌のカメラのフラッシュがたかれるわで、ビックリしました。挙句には、生まれてはじめて記者会見をし、翌日の地方紙の一面に顔写真入りの三段記事が載ったほどでした。
知事にお会いすることもそれほど難しいことではありませんでした。ですが、三十数社が乗り入れている国際都市東京では冷たいものでした。新規乗り入れしたという簡単な事実報道の一段記事がやっとでしたし、都庁を訪れても課長補佐が応対する事務的なものでした。
一時は三十都市近くあった地方都市とソウルを結ぶ路線は、昨今の日韓関係の悪化から需要が減り、大幅に減便されましたが、一日に一万人以上の人が日韓間を往来するほど「近くて遠い国」から「近くて近い国」になったのは韓国側の「成せばなる」という強攻策が功を奏した一面があります。
「道がなければ作ってでも突き進め」という強い意志が、資源もなくマーケットもないなか、五十年の短い期間で世界十五位の経済力を持ち、民主化を果たした原動力でした。
しかし、昨今の韓国を見ると、その反動やマイナス面が浮き彫りになり、韓国社会全体が落ち込んでいます。けれども「ハヌリ ムノジョド ソサナル クモンイ イッタ」(空が崩れ落ちてもどこかにそそり立つ穴があるはずだ)という楽天的な格言からも必ずや息を吹き返すに違いありません。
文=権鎔大(ゴンヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大発行/駿河台出版社)
WOW!korea提供