①<防弾少年団の過去>彼らがトップアイドルになるまで

방탄소년단, '날개 펴고 날아 오를래요~'人気アイドルグループ防弾少年団が歌謡界に初めて登場した時、彼らの成功を確信する者は誰もいなかった。中小企画会社で自ら作曲した歌でステージに上がる覇気溢れる少年たちは、自らの実力と努力によりトップの座に立った。

 

防弾少年団は、2013年に1stシングル「2 COOL 4 SKOOL」でデビューした。タイトル曲「No More Dream」で歌謡界に挑戦状を突きつけた彼らは、デビュー当時は作曲家パン・シヒョクがプロデュースしたアイドルに過ぎなかった。

強烈なサウンドと荒々しいラップのヒップホップ音楽が主流だった防弾少年団は、大衆性というよりはマニア層を対象に彼らの音楽世界を作り上げていった。

特に防弾少年団は、デビュー当時から自らが作詞と作曲を手掛け彼らの音楽世界を築いていった。RAP MONSTER(ラップモンスター)、SUGA(シュガ)、J-HOPE(ジェイホープ)などのラッパーラインがラップを手掛け音楽的な才能を見せた。

 

また同じような時期にデビューしたアイドルグループが多様なコンセプトでチームカラーを多様化させるのとは違い、防弾少年団が追求したのはグループの特性をさらに強化することだった。ヒップホップという路線を全面に立てながら、マニア層と大衆を掴むことができる音楽を作り上げていった。

 

またコンセプトの面でも連続性のあるストーリーを作り出した。デビュー当時は学校シリーズ3部作のアルバムで10代の夢や幸福、愛を歌い、その後「花様年華」シリーズで男として成長した姿を見せてくれた。また2ndフルアルバム「WINGS」は、防弾少年団の内面の成熟さをそのまま盛り込んだ。

 

他のグループが真似ることができない防弾少年団のカラーを持つことで、彼らはさらに強力なファン層を形成した。活動時期以外の時でも防弾少年団に会うことができるYouTubeチャンネルやSNSでの交流などが大衆性を確保する役割を果たした。

少しずつトップに上り詰めてきた彼らは「花様年華」のアルバムを基点にファン層と大衆を捉えトップアイドルとなった。大型エンターテイメントの企画力を越した防弾少年団の音楽性は、"土のスプーン(貧しい家庭で生まれたこと)"というタイトルから"トップアイドル"というタイトルを手にした。

 

<防弾少年団の現在>記録が語る成功の道

<防弾少年団の未来>まだ見せてない3つの切り札

2016.10.20