「イベントレポ」映画『ボストン1947』カン・ジェギュ監督×都立西高等学校特別授業ディスカッション(独占)

ベルリンで止まった時間を動かすために、祖国への想いを胸に命がけのレースに挑む真実に基づく衝撃と感動のヒューマンエンターテインメント『ボストン1947』のメガホンをとりましたカン・ジェギュ監督、本作のモデルとなったソン・ギジョンさんのご令孫の孫銀卿(そん・うんきょん)さんと都立西高等学校教員協力の下、都立西高の生徒との特別授業が7月31日(水)に開催されました。果たして、スポーツは国境を越えて心を繋ぐことができるのか?パリ・オリンピックが開催される真っ只中に、本作を観て“ナショナリズム”“個人の尊厳”そして“アイデンティティ”とは何かを話し合いました。

映画『ボストン1947』×都立西高等学校特別授業ディスカッション
【日時】 7/31(水)17:30より特別授業開始
【場所】 都立西高等学校
【登壇者】カン・ジェギュ監督、孫銀卿(そん・うんきょん)さん(ソン・ギジョンさんのご令孫)

この日はおよそ10数名の生徒と、15名ほどの保護者が来場。まずはカン・ジェギュ監督が「日本には沢山来ているのですが、日本の高校に来るのは初めてです。映画学校ではない一般の高校で映画をテーマにして討論会をするというこのような素晴らしい機会は、おそらく皆さんの未来にとって役立つと思いますし、韓国でも同じようなことをやってみたいと思います」と挨拶。続いて映画のモデルとなったソン・ギジョンさんのお孫さんソン・ウンキョンさんが「私自身は日本で生まれて育ってます。父は韓国で生まれて育ちまして、大学院生として日本に来ました。オリンピックが行われる度にソン・ギジョンの孫として取材を受けたりする機会があるのですが、このような場に招待いただいて感謝しています」と挨拶。

事前に作品を鑑賞した多くの学生の内、ひとりの男子生徒が「スポーツと歴史両方を描いた作品で大変勉強になりました。この作品を撮ろうとした製作意図を教えてください」と尋ねると、ジェギュ監督は「スポーツ関連や戦争もの、そして未来を描くような作品を撮りたいと考えていたんですが『炎のランナー』を観て以来、走ることをテーマにした映画を撮りたいと思ったんです。その中で何を描こうかと考えた時に、ソン・ギジョンさんという有名なマラソンランナーとこの映画に出てくるほかの2人のランナーの3人が力を合わせてゴールを目指していくというハーモニーを軸に描こうと思ったんです」とコメント。

それを受けてある女子生徒は「日本人としてソンさんの試練に苦しく感じたとともに、3人が祖国の旗を揚げるために力を合わせるところにグッときました。その3人がボストンで成果を上げた時の韓国での反応はどうだったのですか?」と尋ねると、ジェギュ監督は「当時は日本の植民地支配を経てから2年後だったのですが、まだ社会的にも政治的にきちんとした国の統治がキチンとされていない時代だったんです。そんな中でイデオロギー的にも分断され、国内でも様々な意見が対立していた時代だったんです。そんな中でもこれから自分たちはどう生きていけばいいのかの座標を失っていた時代だったんです。そんな中で国際大会であるボストンマラソンにおいて金メダルを獲得できたということはコリアという名前で世界から注目されることができるんだという可能性を示されることによって、国民は自信を持つことが出来ましたし、韓国にとっては大きなパワーや夢を与えてくれた出来事でした」とコメント。

ソン・ギジョンさんはベルリンオリンピックやボストンマラソンについて、どのように家族に話してたのかを聞かれたウキョンさんは、「改まってどう思っていたのかなどは普段の生活の中で会話に出てこなかったのですが、私自身がアイデンティティについて悩んでいた時に、祖父に聞いてみたいという気持ちになって聞いてみたんです。ただ、祖父は質問をはぐらかして、本心を語ってはくれなかったのですが、今になって考えるともっと話したかったなって後悔しています」と語る。

「優勝した瞬間は本当にうれしかったんだと思います。ただその後に映画で描かれている様にどん底まで落ちてしまった。ただ、私に対しては日本に対しても韓国に対しても批判する様なことを言ったことは全くなかったんです。日韓関係って常に話題になるのですが、祖父は「日本も悪いけど、韓国も悪いよね」と言っていました。ただ、死に際に最後に言ったことは「箱根駅伝に出たかった」だったんです」と語る。ソン・ギジョンさんは、金メダルを取ったにも関わらず、日本政府からマラソン競技に参加することを禁止されていたことも映画で描かれていたため、最後の言葉に思わず言葉を失ってしまう会場内。

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2024.08.03