韓国の航空会社が世界の航空業界で誉とされる「エアライン・オブ・ザ・イヤー」を獲得するまでに成長したのは昔を知る者にとって“驚き桃の木山椒の木”です。
70~80年代まではサービスの悪さで定評がありました。“スチュワーデス”は笑顔がなく、つっけんどんな接客態度は隣にサービスの良いJALがいただけに尚更目立ちました。このサービスの悪さは何も航空会社だけでなくデパートなどその他の接客業に共通していました。
当時韓国の経済は発展途上にあり大学を卒業しても女性にはこれといった職場がありませんでした。その中でスチュワーデス(現キャビンアテンダント)は海外にも行ける最高の職業でした(当時の韓国は海外渡航制限下)。それこそ“ハヌレ ビョル タギ”(夜空の星を取る…それくらいに難しいという意味)でした。
ですから東京でいえば聖心女子大、お茶の水女子大級の梨花女子大の学生、それも英文科、家政学科など優秀な人材が応募してきました。競争倍率が高く狭き門であればあるほどコネを使って入社しようとするものも後を絶ちません。
頭脳明晰でプライドが高く家庭環境も良い才女が、お手伝いさんのような仕事(食事を運び、乗客のわがままに応えなければならない)をこなすには無理がありましたので、大韓航空の社内外からサービスを何とかしろとの圧力がかかり、担当役員や部長がその対策に追われました。
その一環として“スマイルコンテスト”を実施しました。少しでもお客様に笑顔で接してもらうための苦肉の策でした。全乗務員の笑顔の写真を訓練所の廊下に張り出し、社員の投票で10人選抜し、その中から対面審査をして“スマイルクイーン”を選びました。
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