「コラム」日本と韓国の交流史7/浅草寺の縁起

東漢氏とは?
聖観世音菩薩の発見に功績があった3人(檜前浜成、檜前竹成、土師中知)は浅草の地に建てられた三社権現の祭神となった。この三社権現は1873年に浅草神社と改称されて、今も浅草寺のとなりにある。
以上が浅草寺と浅草神社の縁起なのだが、ここで注目したいのは浜成、竹成の兄弟である。彼らの姓は檜前だが、今も奈良の大和に檜前という地名がある。
古代において檜前は「渡来人の里」として知られた。その渡来人は東漢(やまとのあや)氏という一族で、もともとは5世紀頃に朝鮮半島の南部から日本にやってきた。
東漢氏は檜前を拠点として、ヤマト政権の中で大きな力を持った。それは、彼らが軍事、土木、造船という分野で優れた技術を持っていたからである。彼らの一族からは後に征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)も出ているが、その軍事力は当時の朝廷にとっても大きな脅威となるほどだった。


しかし、東漢氏が特にその存在感を示したのが仏教施設の建設だった。飛鳥寺は日本で最古の寺と称されているが、この飛鳥寺の造営にも東漢氏は関わっていたと言われているし、法隆寺にも東漢氏が制作した仏像があるという。
仏教が伝来して以後、寺院建設や仏像の制作で渡来人が果たした役割は大きいが、その中心的な存在が東漢氏だった。
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日本と韓国の交流史1/海を渡る人々

日本と韓国の交流史2/広開土王の時代

日本と韓国の交流史3/仏教伝来

日本と韓国の交流史6/善光寺の絶対秘仏

2022.01.18