「コラム」日本と韓国の交流史7/浅草寺の縁起

東京の浅草寺の本尊は観世音菩薩だが、隅田川から引き上げられたという縁起(由来)がある。その由来には、いったいどんな要点があるのだろうか。

 

川の中から出てきた仏像
その昔、隅田川で檜前(ひのくま)浜成(はまなり)、竹成(たけなり)の兄弟が漁をして生活していた。
628年3月18日、この日はいくら漁に精を出しても、網にかかる魚はまったくなかった。落胆する兄弟。そのうち、ようやく網に獲物がかかり兄弟は喜んだが、引き上げてみると一つの仏像があるだけだった。


兄弟はその仏像の価値がわからず、すぐに川に投げ捨ててしまうのだが、場所を変えて網をしかけても、何度も仏像が引き上げられた。
「これは大変なものを引き上げたかもしれない」
おそれおののいた兄弟は、仏像を地元の博学として知られた土師中知(はじのなかとも/この氏名には諸説がある)に見せたところ、これが観世音菩薩の尊像であることがわかった。
尊いものを得た兄弟は早速、「明日はぜひ大漁になりますように!」と観世音菩薩に向かって深く祈願すると、その願いがかなって翌日は船から魚があふれるほどの大漁となった。観世音菩薩には大変な御利益があったのである。

やがて土師中知は出家して自宅を寺にし、観世音菩薩を祀って信心深い生涯を送った。その寺が浅草寺の始まりである。
645年、浅草の地を訪れた勝海上人は浅草寺に来て観音堂を建立した。そして、本尊を秘仏と定めた。
以後、この伝統は浅草寺でしっかり守られている。
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日本と韓国の交流史1/海を渡る人々

日本と韓国の交流史2/広開土王の時代

日本と韓国の交流史3/仏教伝来

日本と韓国の交流史6/善光寺の絶対秘仏

2022.01.18