BTSのリーダー・RMが今年の5月、ARMYのためのオフィシャルコミュニティ「Weverse」に、とあるエッセイ集を撮影した2枚の写真をコメントなしでシェア。そのエッセイ集は韓国の大手書店・教保文庫での週間販売数が250倍に激増し、たちまち完売に。11月には日本でも『それぞれのうしろ姿』(アン・ギュチョル著、桑畑優香訳、&books/辰巳出版)というタイトルで翻訳出版されました。
著者は韓国の現代美術家で、インスタレーションも多く手がけるアン・ギュチョルさん。普段の生活の中では見過ごされがちな“事物のうしろ姿”に着目し、読者の思考を解きほぐすと同時に、前向きな気づきを与えてくれる内容となっています。日本語版出版を記念して、アン・ギュチョル氏のインタビューをお届け。RMとの交流についての知られざるエピソードも満載です!
RMがシェアした「植物の時間」が、心が折れそうになっている人たちに癒しを与えた
——本書は韓国の文芸誌『現代文学』でアンさんが長年連載されたうち、67のエッセイとイラストを厳選してまとめられていますが、このテーマに連載を始めた経緯を教えていただけませんか。
アン・ギュチョルさん(以下アン):『現代文学』で連載を始めてから、もう約20年になります。『それぞれのうしろ姿』は、連載をまとめた3冊目の本です。文筆家ではなく美術家である私が文芸誌に連載をもつのは異例であり、最初にオファーを受けた時には、文学を掲載するための大切な誌面を無駄遣いしてしまうのではないかと、しばらく悩みました。今もプレッシャーを感じています。それにもかかわらずこうしてずっと寄稿しているのは、『現代文学』の格別な配慮のおかげです。興味深い視点の文章が浮かばず締め切りに間に合いそうにない時でも待ってくれ、自信がない時には上手に励ましてくれたヤン・ソクジン主幹の力はとても大きかったと思います。エッセイのテーマは、美術家である私の仕事と深く結びついています。私の制作活動は、日常の平凡なモノを観察し、心に浮かぶ断片的な考えや文章をスケッチとして記録することから始まるため、本書に掲載されているエッセイとスケッチには創作の過程がそのまま映し出されています。昨年定年退職した私にとって『それぞれのうしろ姿』は、これまでやってきたことを振り返る意味が込められた本です。
——ページをめくると、まずスケッチが目に飛び込んできて、スケッチとの関連性と考えながら文章を読んでいます。本書の中でアンさんが一番好きなイラストや文章は?
アン:エッセイ「昨日降った雨」と、表紙にも載せているスケッチ「ゆるやかな時間」が一番気に入っています。このエッセイに込めた思いが原点となって「ゆるやかな時間」を描き、作品を2017年に開いた個展で展示するに至りました。だから、特別な思いがあるのです。BTSのRMがページをシェアした「植物の時間」も時々読み返しています。もともとある年の年末に新年の誓いを綴った文章だったのですが、最近コロナ禍で心が折れそうになっている人たちに小さな癒しを与えたのだと思います。
——三人称単数について、本書原文では「그녀」(彼女)は一度も使われておらず、すべて「그」(彼/その人)に統一されています。あえて統一されていることへの意図を教えてください。
アン:あまり意識しておらず、特に意図や理由はありません。わたしの文章に女性はほとんど登場しないのですが(そういえば、男性もほとんど登場しませんね)、三人称の人物を指す際に性別が重要でない時は、習慣的に「その人」を使ってきた気がします。
RMが個展にやって来てサインを求められた数週間後、注文が殺到していると聞かされた
——本書はRMの投稿によって、日本に紹介され私たちは本書の存在を知り、内容にひかれて本書を日本で刊行させていただきたいと考えました。それはまるで本書に掲載された「風になる方法」の種を運ぶ風の役目をRMが果たしたように思えます。まさに「書物」も静物ではないようです。種に対する「風」が果たす役割は、文化、芸術におけるその紹介者として活動しているBTSの姿とも重なります。このことをどう感じられたでしょうか。
アン:まったく予想外のことでした。5月に釜山国際ギャラリーで開いた個展に、RMが来ました。意外にもRMが私に本をさし出しサインをしてほしいと言うので、何気なくサインをしたんです。すっかり忘れていた数週間後、出版社に本の注文が殺到していると聞きました。本書の最後のエッセイ「はがき」で、自分の文章を「宛先のないガラス瓶に入った手紙」に例えましたが、突然多くの読者から注目を浴びるようになったのが信じられません。私が書いた文章の数々が見知らぬ遠くの誰かに共感と癒しを与えるのは、著者としてこの上ない喜びであり幸運です。読者の中には、私の文章から得た小さな種から生まれた新しい木を育てる方もいるかもしれません。それと同じように、私も誰かから得た種で、この文章を育んだのです。RMには感謝のあいさつもまだできていませんが、多忙なRMさんが、文化芸術の真摯な仲介者として自分の時間を割くのは、本当にすごいことだと思います。
——RMがアンさんの絵やエッセイを読まれたことについて、どのように感じましたか?
アン:私は美術館の観客とBTSのファンは、根本的に違いはないと思っています。使っているメディアやストーリーを伝える手法は異なりますが、私もBTSも現代の社会と暮らしを語るという点では同じです。それにもかかわらず、いわゆるポップカルチャーと芸術の間には、見えない境界線がずっと昔から存在しています。私が美術館やギャラリーで出会う観客は、BTSを愛する世界中のファンに比べれば、ごく少数に過ぎません。『それぞれのうしろ姿』も限られた人だけが手に取るのだろうと思っていました。ところが、RMが読んで「植物の時間」をBTSのファンに紹介したために世界中のARMYが私の文章を読むという、驚くべきことが起きたのです。漠然と距離があった隣人に、思いもよらない招待状をいただいたような気分です。
——BTSの楽曲はお聞きになりますか? 彼らの楽曲には必ず背景があるようですが、その解釈については受け側に委ねられており、アンさんの御著書に通じるものがあるように思っています。その点について、お気づきのことがあれば教えてください。
アン:正直に申し上げると、ビートが速いBTSの音楽についていくのは、たやすいことではありません。70年代の洋楽に親しんだ世代の限界と言えるでしょう。それでも、メロディーとリズム、華やかなミュージックビデオやパフォーマンス、そして詩的な歌詞の意味を考えながら、自分なりに楽しんでいます。BTSの音楽には、特定の世代だけでなくすべての人に響く普遍性があると感じます。今という時代に対して意味のある問いを投げかけ、正解を導くのではなく解釈の可能性を開いておく。これは私が美術や執筆をするうえで大切にしていることですが、BTSも同じ点をはっきり意識していると思います。
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