曖昧な謝罪文である。
韓国グループ「SUPER JUNIOR」のヒチョルは、謝罪文で「僕の考えの是非はともかく、荒々しい悪口や低俗な表現を乱発し、ネロナムブル(自分に甘く他人に厳しい)の姿をお見せしたことをお詫びします」と、13日にコメントした。
ファンには、「改めて、僕が作った議論によって傷ついたファンの皆さんに、一番申し訳ない」とし、「今回のことを最後に、今後はいかなる議論にも絡まないようにする」という誓いも立てた。ただ、ヒチョルは謝罪文の最後に、加えるような形で「だけど、校内暴力(=いじめ)や特定サイトについて悪口を言ったことは、いくら振り返ってみても、僕は間違っていないと思う」とした。
何があったのだろうか。「僕の考えの是非はともかく」と言っているが、ヒチョルが示した“僕の考え”とは何か。「今回のことを最後に」と言った、ファンに言及した“今回のこと”は、また何か。
ヒチョルの謝罪文は、これだけ読むと、一体どのような状況なのか分からないというのが、一番の問題だ。謝罪文の基本は、“どのような間違い”なのか、明らかにすることが出発点である。
「僕の考えの是非はともかく」と前提し、あいまいにやり過ごすことではない。具体的に、どのようなことがあって、どのような発言が問題があったのか、はっきりと明らかにしなければならない。
ヒチョルは、自身が「間違っていない」と思った発言は、“いじめ”、“特定サイト”と明示したが、「間違っている」と思った発言も、明確に明らかにするのが、責任ある姿勢だ。今人々は、単にヒチョルが“荒々しい悪口や低俗な表現”をしたから、こうしているのではないということを、本人もよく分かっているはずである。
ヒチョルは謝罪文で言及しなかったが、今回の議論はインターネットの生放送でした発言のためだ。いじめだけではなく、同じ「SUPER JUNIOR」のメンバーだったカンインの事件、日本での不買運動、「SUPER JUNIOR」のスケジュール不参加などと関連し、ヒチョルは過激な表現を交ぜて過激な発言を連発した。
発言の内容も不適切で、悪口を乱発したことも不適切だった。ヒチョルは、“宇宙の大スター”というニックネームのように、全世界に数多くのファンがいる人気スターだ。自身の発言と行動に、どのような影響力があるのか、念頭に置いておかなければいけない。
「間違っていない」と思った発言でも、その過程は間違っていた。批判したい対象がいるのであれば、大人な言動を交えて指摘し、反省を促さなくてはならないし、罪もないファンが視聴する前で、ランダムに悪口を吐き出すのは、デビュー19年目の立派な大人らしくはなかった態度だ。無分別な悪口が、ファンに及ぼす影響も、よく分かっているはずなのに。
WOW!Korea提供