名君として名高い4代王・世宗(セジョン)の長男として生まれた文宗(ムンジョン)。世宗が即位して3年後の1421年に7歳で世子として指名された。それから世宗が亡くなるまでの29年間、文宗は世子として過ごしたのだが、世宗統治時代の最後の8年間は文宗が世宗の政治を補佐している。世宗が極度に体調を悪化させた…
韓国でタクシーに乗ると、驚くことが多い。日本との比較で言うと、まず、料金がとても安い。それで、つい乗ってしまう。ただし、空港から乗るときは要注意。今でも、外国人観光客を相手に割高な料金を取る運転手がいるからだ。 韓国のタクシーの特徴 韓国のタクシーは、街中で相乗りが普通にある。 目的地が近いと、たと…
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子である荘献(チャンホン)。彼は、王の後継者という立場でありながら、ある悲劇に見舞われてしまう。いったい何があったのだろうか。 親子の間に生まれた確執 英祖には息子が2人いた。長男の孝章(ヒョジャン)は、1719年に生まれたが、病気によって9歳で世を去って…
日本から見て、驚くことが多い韓国のスポーツ界。女子のゴルフ選手たちの強さにもビックリさせられる。今や世界最強のレベル。その最大の功労者が、すでに引退してしまった朴セリだ。彼女がいたから、韓国の女子プロゴルフ界はここまで強くなれたのだ。 救国の孝行娘 1998年に朴セリは世界の女子ゴルフ…
朝鮮通信使の招聘に消極的だった松平定信が政治の表舞台から去っても、招聘問題は進展しなかった。朝鮮王朝は徳川幕府に不信感を持ち、あえて使節を派遣しようと思わなかった。こうして空白期間は延々と続き、気がついてみれば朝鮮通信使の来日が半世紀近くも途絶えてしまった。 対馬での易地聘礼 ようやく…
日本では、亡くなった人の法要は、三回忌を過ぎると七回忌、十三回忌となり、何年もの空きが出る。しかし、韓国ではたとえ何十年が経とうとも、その人の命日に合わせて祭祀(チェサ)がかならず毎年行なわれる。 祭祀が終わると宴会が始まる 昔は命日当日の午前零時から祭祀を行なわれた。 しかし、現代社…
19代王・粛宗(スクチョン)が張禧嬪を王宮の中で見初めたのは1680年頃と言われている。そのとき、粛宗は19歳で、張禧嬪は21歳だった。粛宗の母・明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪を警戒した。欲の深さが彼女の表情に出ていたからだ。 お人好しの王妃 明聖王后は張禧嬪を「息子に悪影響を及ぼす…
済州島(チェジュド)、木浦(モッポ)、釜山(プサン)など、韓国でも刺し身が美味しい港町が多い。ただし、刺し身の注文方法が日本と違う。韓国スタイルはどのようになっているのだろうか 韓国も島国のようなもの 刺し身が好きなので、新鮮な魚介類を出す店を探してせっせと出掛けている。仲間と行ったときは舟盛りを注…
1764年に江戸時代で11回目にあたる朝鮮通信使の来日があったが、以後はまったく途絶えてしまった。そこには一体、どんな事情があったのだろうか。 松平定信の意向 徳川将軍が代わる度に幕府が対馬藩を通して朝鮮通信使の来日を要請するのが通常の手続きだった。 1787年に11代将軍・徳川家斉が襲職したときも…
待ちに待ったパク・ボゴムの芸能界復帰だった。彼は本来なら今年4月30日に除隊するはずだったが、余っていた休暇をまとめて消化して2月21日付けで完全に除隊となった。本当に嬉しいニュースだ。 画像提供=tvN 『青春の記録』で演じた主人公 兵役満了で除隊となっただけに、パク・ボゴムは早めに芸能界の活動を…