朝鮮王朝時代の女性は肖像画を残していないが、歴史書の記述によって誰が美女であったのかが明らかになっている。歴史に残る美女は、敬恵(キョンヘ)王女、黄真伊(ファン・ジニ)、淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)、神徳王后(シンドクワンフ)、張禧嬪(チャン・ヒビン)の5人である。 最初の3人 敬恵(キョンヘ)王…
11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなった章敬(チャンギョン)王后だ。そして、3人目の妻が文定(ムンジョン)王后〔1501年~1565年〕で…
朝鮮王朝には42人の王妃がいたが、中でも慈愛に包まれた人格者の王妃が5人いた。その5人とは、顕徳王后(ヒョンドクワンフ)、孝懿王后(ヒョウィワンフ)、端敬王后(タンギョンワンフ)、昭憲王后(ソホンワン)、仁顕王后(イニョンワンフ)である。 最初の3人 顕徳王后(ヒョンドクワンフ) [1…
10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、臣下たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。自分の意思とは関係なく臣下のみこしに乗って王になった彼は、強引な政策を続ける側近に異論を言えなかった。 臣下に屈した王 中宗には端敬(タンギョン)王后(1…
国王に成り代わって政権を主導した5人の黒幕は誰か。それは、韓明澮(ハン・ミョンヘ)、金祖淳(キム・ジョスン)、興宣大院君(フンソンデウォングン)、趙光祖(チョ・グァンジョ)、鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。 強権を握った3人 韓明澮(ハン・ミョンヘ) [1415~1487年] 7代…
写真=植村誠 張緑水(チャン・ノクス)〔?~1506年〕は、両班(ヤンバン)の父と妾の間に生まれた。妾の娘だった彼女は、生まれながらに奴婢(最下層の身分)にされた。張緑水は己の境遇を呪った。どうにかして自分の身分を改善しようと思った彼女は、8代王・睿宗(イェジョン)の息子である斉安大君…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その中で在位中に強制的に退位させられた人が5人いる。それは、定宗(チョンジョン)、端宗(タンジョン)、燕山君(ヨンサングン)、光海君(クァンヘグン)、高宗(コジョン)である。 最初の3人 ◆定宗(チョンジョン) [1357~1419年] 2代王。在位は…
9代王・成宗は王としては多くの偉業を残した。しかし、女好きがたたり、多くの問題も起こしている。その筆頭が廃妃(ペビ)・尹氏(ユンシ)との問題だ。果たして、それはどんなことだったのだろうか。 写真=植村誠 成宗の正室となった尹氏 成宗(ソンジョン)は12歳で即位すると同時に、7代王・世祖(セジョ)の功…
仁粋(インス)大妃は、もともと、7代王・世祖(セジョ)の長男・懿敬(ウィギョン)の正妻である。懿敬は世子(セジャ/王の後継者)だったので、仁粋大妃も本来なら王妃になるはずだったのだが、懿敬が19歳で夭逝したために、それは叶わなかった。 垂簾聴政の指南役 王妃になれなかった仁粋大妃。しかし、彼女が産ん…
朝鮮王朝の五大偉人といえば、ハングルを作った世宗(セジョン)、儒学の大家の李退渓(イ・テゲ)、救国の英雄の李舜臣(イ・スンシン)、『東医宝鑑』を書いた許浚(ホ・ジュン)、朝鮮王朝後期の名君の正祖(チョンジョ)である。 朝鮮王朝前期の3人 ◆世宗(セジョン) 〔1397~1450年〕 4代王で在位は1…