518年間も続いた朝鮮王朝には42人の王妃がいた。その中には、幸福を満喫した王妃もいれば、悲惨な目にあった王妃がいた。今回は、理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」を取り上げてみよう。 悲惨な3人 まずは「悲惨な五大王妃」の中の3人を取り上げる。 ◆廃妃・尹氏(ユンシ) 〔1445~1482年〕 …
1689年4月、粛宗(スクチョン)は突然高官を集めて、「仁顕(イニョン)王后はあまりにも嫉妬が強すぎる」と露骨に非難しました。朝鮮王朝時代には、地位のある人が妾を持ったりしました。それでも正妻は絶対に嫉妬してはいけないという戒めがありました。なにしろ、当時の法律によると、夫が抱えている妾に嫉妬しただ…
「トンイ」とはイ・ビョンフン監督が演出したドラマ『トンイ』の主人公の名で、歴史的には淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏のことです。彼女は張禧嬪(チャン・ヒビン)と激しい敵対関係にありました。これから5回にわたって2人のライバル物語を語っていきます。 絶世の美女と言われた張禧嬪 19代王・粛…
写真=韓国SBS『ヘチ』公式サイトより 朝鮮王朝の21代王の英祖(ヨンジョ)は、韓国時代劇によく登場する国王だ。しかし、82歳まで生きて国王の中で一番長生きだったので、ベテランの俳優が演じることが多かった。そんな流れの中で、時代劇『ヘチ』で若き日の英祖を演じたのがチョン・イルであった。 …
世宗(セジョン)や正祖(チョンジョ)のように名君としてあまりに有名な国王がいれば、その反対に、民衆からさげすまれた国王もいる。特に評判が悪かった5人の国王を取り上げてみよう。 民衆が嫌悪した3人の国王 ◆世祖(セジョ) 〔1417~1468年〕 7代王。在位は1455~1468年。首陽…
仁穆(インモク)王后は「光海君の首をはねろ」と言いましたが、仁祖(インジョ)としては、とうてい承諾できないことです。「いくら王宮から追放したとはいえ、先の王の首をはねてしまえば、非道な王と評されるおそれがある。歴史でどんな扱いを受けるかわからない」と彼は考えたのです。しかし、仁穆王后も絶対に譲りませ…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、4代王・世宗(セジョン)や22代王・正祖(チョンジョ)のように尊敬される名君もいれば、その逆で、業績を残せなかった国王もいた。その中から5人の国王を選んでみた。 政治を仕切る機会を持てなかった3人 ◆文宗(ムンジョン) 〔1414~1452年〕 5代王…
朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)世子、思悼(サド)世子、孝明(ヒョミョン)世子である。 生を奪われた3人 ◆李芳碵(イ…
外交の他に、光海君(クァンヘグン)の政治的業績の1つと言われているのが大同法を広めようとしたことです。大同法は、税金を土地の所有に応じて支払うという法律で、直接的に一般庶民の減税につながるものです。両班(ヤンバン)や地主階級には不利になりますが、土地を持たない一般庶民は大歓迎でした。 …
近年になって歴史の研究が進むと、光海君(クァンヘグン)は暴君ではなくて、むしろ名君であったという声が起こってきます。イ・ビョンホンが主演した「王になった男」はそういう論調で作られた映画で、光海君の優れた行政能力が描かれていました。 小国の生き残り策 光海君が1608年に即位したときは、豊臣軍による朝…