ドラマ『華政(ファジョン)』の主人公だった貞明公主 1603年、宣祖(ソンジョ)の継妃であった仁穆(インモク)王后が王女を産んだ。それが貞明(チョンミョン)公主である。仁穆王后は続いて1606年に永昌大君(ヨンチャンデグン)を産んでいる。貞明公主に弟ができたのだ。 長く苦しい監禁生活 …
朝鮮王朝の光海君(クァンヘグン)の時代に暗躍した金介屎(キム・ゲシ)。彼女は「悪の女官」の代名詞である。もともと、幼い頃に王宮に入って見習いの女官になった女性であった。 常に裏で動いた 成人後の金介屎は、14代王・宣祖(ソンジョ)に直接仕えた。文書の扱いが巧みなことを評価されたのだ。そ…
済州島(チェジュド)の貧しい家に生まれた金万徳(キム・マンドク)は、優しい両親と弟に囲まれ、幸せに暮らしていた。しかし、12歳の時に両親は他界。残された姉弟は、別々の家で小間使いとして暮らすことになった。金万徳はどのような人生を歩んだのでしょうか。 金万徳が興した事業 15歳になった金万徳は美しい娘…
朝鮮王朝には27人の国王がいたが、その中で在位中に強制的に退位させられた人が5人いる。それは、定宗(チョンジョン)、端宗(タンジョン)、燕山君(ヨンサングン)、光海君(クァンヘグン)、高宗(コジョン)である。 最初の3人 ◆定宗(チョンジョン) [1357~1419年] 2代王。在位は…
ドラマ「トンイ」のモデルとして有名な淑嬪(スクピン)崔(チェ)氏は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室で、21代王・英祖(ヨンジョ)を産んだ生母である。しかし、淑嬪崔氏について書かれた資料は少なく、確実なのは、出生が貧しいということだけだ。彼女は、いったいどのような女性だったのでしょうか。 &nbs…
朝鮮王朝5代王・文宗(ムンジョン)の娘である敬恵(キョンへ)王女は、朝鮮王朝の歴史上“最も美しい王女”と言われた女性だ。王族の娘は、10代半ばになると嫁に行かなければならず、敬恵王女は、名門出身のエリート・鄭悰(チョンジョン)の妻になった。そんな彼女を襲った悲劇とは、何なのでしょうか? 幸せな生活が…
朝鮮王朝時代に名をとどろかせたもっとも有名な妓生(キーセン)だった黄真伊(ファン・ジニ)。妓生とは、歌や踊りで男性を接待する職業の女性を指す。黄真伊の正確な生没年はわからないが、関係のあった人物から推測すると、11代王・中宗(チュンジョン)の時代に生きた人物と考えられる。彼女はいったいどんな女性だっ…
写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより 韓国時代劇は朝鮮王朝時代を舞台にした作品が多いが、その中でも朝鮮王朝の後期にあたる1820年代を描いているのが『雲が描いた月明り』である。果たして、どういう時代だったのか。 世子と内官 朝鮮王朝では、1820年代にどんな出来事が起こっているだろうか…
米びつに閉じ込められた思悼世子(サドセジャ)の生死はどのようになっていたのだろうか。食料も水も与えられず狭い空間に閉じ込められたままの思悼世子は、まだ生きていたのかどうか。それは誰にもわからないことだった。 死後に名誉を回復 思悼世子が米びつの中で息絶えていることがわかったのは1762年閏5月21日…
英祖(ヨンジョ)は意地になって、「たったいま世子(セジャ)を廃したのだが、史官はちゃんと聞いていたのか」と大声を出した。史官といえば正式な記録を残す官僚である。英祖は、自分の言葉を正式な文書に残すことをはっきりと要求した。 懇願する世子 思悼世子(サドセジャ)は泣き続けていた。震えがと…