時代劇『イ・サン』の始まりでは、英祖(ヨンジョ)の息子の思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められている場面が描かれていた。思悼世子の息子のイ・サン(当時10歳で後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)は、米びつに近づいてはならないという王命にそむき、危険をかえりみずに父に会いにきていた。 懇願するイ・…
中宗が上がった高い建物は慶会楼(キョンフェル)と言われている 韓国にもさまざまな伝説が残されている。その中でも、朝鮮王朝時代から今も語り継がれる美しい伝説がある。それは、政略的に廃妃(ペビ)にされた妻が、夫である王に捧げた愛だ。その名も「チマ岩の伝説」と呼ばれている 仲睦まじい夫婦 時代は、10代王…
張禧嬪(チャン・ヒビン)が19代王・粛宗(スクチョン)の側室になったとき、正室は仁顕(イニョン)王后だった。仁顕王后に早く子供ができていれば、王妃としての立場は磐石だったと思われるが、あいにく彼女は病弱で、床に伏す日が多かった。結局、粛宗は張禧嬪のもとに入り浸(びた)りとなった。 王妃への昇格 16…
ドラマ『不滅の恋人』は、朝鮮王朝の実話ではない。一応は架空の物語なのだが、モデルになっている史実がある。それが、首陽大君(スヤンデグン)と安平大君(アンピョンデグン)の兄弟対決だ。 ドラマの重要なところとは? テレビ東京の韓流プレミアと言えば、平日の毎朝8時15分から韓国ドラマを放送している枠だ。そ…
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 庶民のための統治 粛宗(スクチョン)の側室になる前の淑嬪・崔氏は、宮廷内の下働きだった。 そのた…
朝鮮王朝時代の国王は27人いたが、平均寿命は46歳である。人生50年の時代なのに、平均で50歳まで生きられなかった。それは、なぜなのか。食べすぎが原因ではないだろうか。 毒味用の女官は3人 朝鮮王朝時代の国王は、1日に5回も食事をした。 その食事はスラサンと呼ばれたが、当日の一番最初の…
EXOのD.O.(ディオ)ことド・ギョンスと、女優のナム・ジヒョンが夫婦役で出演している韓国時代劇『100日の郎君様』。このドラマは、NHKの総合テレビで日曜日の午後11時から放送されている。今後、ストーリーはどのように進んでいくのだろうか。 飄々とした演技を見せるド・ギョンス 『100日の郎君様』…
1392年から1910年まで続いた朝鮮王朝。1603年に誕生して1868年に終焉を迎えた徳川幕府。両方の政府はどんな違いを乗り越えて、善隣関係を維持したのだろうか。 武家政権と文官政府 朝鮮王朝は518年間も続いた。日本でいえば、室町時代から明治時代までに相当する長さだ。これほど長く続いた理由は何だ…
1720年6月8日に19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなった。このとき、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に1688年に生まれた王子が世子(セジャ/国王の正式な後継者)になっていた。彼が、20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。 頼もしい兄 景宗が即位した当時、2大派閥が党争を繰り返していた…
粛宗(スクチョン)が即位してから20年が経った1694年3月29日のことだった。当時の有力派閥だった西人派に所属する官吏の金寅(キム・イン)や他の数名が告発書を朝廷に提出した。その内容の一部に粛宗が驚愕した。なんと、「張希載が淑嬪・崔氏を毒殺しようとした」と書かれてあったのだ。 宮中が…