王建が残した遺言
そうした王建の意地は、高麗が鴨緑江(アムノッカン)流域まで領土を拡大する原動力になった。
対外政策だけではなく内政面でも王建は独自の方法を取った。彼は有力な豪族とは、必ず婚姻関係を結んだ。姻戚関係になることで、豪族たちの反乱を防いだのだ。
そのため、王建には29人の妻がおり、その間に25人の息子と9人の娘が生まれた。結果として、王建が生きている間、豪族たちは争うことなく彼に従った。王建は政略結婚を通して、国政を安定させたのだ。
943年、高麗の基礎を作った王建は亡くなった。彼は遺言として「王位は長男が継ぐこと」「仏教を大切にすること」などの「訓要十条」を残した。これは、高麗の政治指針になった。