百済(ペクチェ)の聖王(ソンワン)の使者が来日して、欽明天皇に釈迦仏の金銅像と経論などを贈呈した。仏教の受容をめぐって、政権を支える2大勢力が対立した。
捨てられた仏像
欽明天皇は蘇我氏と物部氏の間をとりもちながらも、やや蘇我氏寄りの判断をした。
「稲目に授けるゆえ、試しに拝んでみたらどうか」
蘇我稲目(そがのいなめ)は内心ほくそえみ、仰々しく平伏した。
屋敷に戻った蘇我稲目は、金銅像を安置して、百済の使者から教わったとおりに拝み続けた。
後には小さな寺まで造り、蘇我稲目は仏道を究めようとした。
折り悪く、疫病がはやって若死にする者が続出した。
批判の声を強める物部尾輿(もののべのおこし)は、欽明天皇に上訴した。
「臣が反対しましたが、聞き入れられず、世に病死が増えました。あの仏を早めに捨てて、世を平穏にすべきではないでしょうか」
欽明天皇も賛意を示した。
物部尾輿はすぐに蘇我稲目から仏像を取り上げて、難波(なにわ)の堀江に捨てた。さらには、見せしめとして寺に火をつけた。
不思議なことが起こった。
晴天で無風だったのに、宮の大殿に火事が起きた。
仏がお怒りになったのだろうか。
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