因果応報の最期
その後、昭顕の妻の姜氏は「仁祖の命を狙って献上のアワビに毒を盛った」という理由で、自害に追い込まれている。
この事件の首謀者に姜氏を仕立て上げたのが趙氏だと言われている。趙氏は姜氏を憎んでおり、その憎悪が偽りの毒殺説を捏造させたのである。
昭顕は世子として世を去ったので、本来なら昭顕の息子3人の中から新しい世子が選ばれなければならなかった。
しかし、仁祖はなぜか昭顕の息子3人を済州島に流してしまった。自分の孫であるにもかかわらず……。
さらに、3人のうちの2人が不可解な死を遂げている。明らかに、仁祖ないしは趙氏が送った刺客に殺されているのである。
結局、仁祖は昭顕の弟を世子にした。これが17代王となった孝宗(ヒジョン)である。しかし、この王位継承は朝鮮王朝では絶対にあってはいけないことだった。代を継ぐときは必ず世子の息子にいかないといけないのに、仁祖は自分の次男に王位継承を変えてしまったのである。
これも仁祖と趙氏の共同の企みではないかと言われている。
しかし、趙氏にも天罰が下るときがやってくる。
仁祖が世を去って孝宗が即位すると、趙氏の立場は途端に悪くなった。最終的には、趙氏は孝宗から嫌われて死罪になっている。
因果応報と言うべきか。貴人・趙氏の最期は本当に哀れであった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)