命をかけて端宗(タンジョン)を復位させようとした「死六臣」だが、彼らの行動は逆に世祖(セジョ)を頑迷にした。世祖は、ことの発端は“端宗の存在”にあると思いこみ、端宗の身分を剥奪して、身分を庶民に降格させたうえで都から離れた地に追放してしまった。
わずか17歳だった
自分の意思とは無関係に状況が悪化していく端宗。彼の受難はまだ続く。
生まれ育った王宮から移動した端宗は罪人として扱われた。妻はもちろん、なじみの宮女たちすら同行することが許されなかった。彼は監視役の兵に囲まれ寂しく都から離れていった。
見知らぬ土地で端宗は、不安と悲しみを抱えながら生活した。彼の唯一の楽しみは、山に登って自然と親しむことだけだった。
美しい風景を見ながら、端宗は自らの境遇を嘆いた。
「私がいったい何をしたというのだ……」
悲しみは深まるばかりだった。
もちろん、端宗の行動は細かく監視された。まるで籠の中の鳥である。
そんな端宗にもまだ支持者が残っていた。実は、世祖(セジョ)の弟の錦城大君(クンソンデグン)が、端宗を復位させるために仲間を集めていたのである。
しかし、錦城大君の計画は用意周到とはいかなかった。彼の側近が出世に目がくらみ、情報を流してしまったのだ。世祖は大軍を率いて錦城大君を強襲した。計画がばれたことを悟った錦城大君は、無駄な抵抗はせずに捕まった。
この一件によって、世祖は一つの決断を下した。
「甥が生きているかぎり、復位を狙う動きは終わらないだろう……」
1457年9月、世祖は端宗が朝廷の安泰を乱す罪人と決めつけ、ついに死罪にした。端宗はまだ17歳だったのだが……。
端宗を非道に殺したことにより、もはや世祖に逆らう者はいなくなった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:チャレソ
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