【時代劇が面白い】仁粋大妃(インステビ)の悲惨な最期とは?(歴史検証編)

 

孫は燕山君
垂簾聴政にも別の指南役がいることが高官たちの間で大問題になった。仁粋大妃は批判を受ける形になったが、彼女は強い意思で敵対する勢力をつぶしていった。そのあたりの決断力はまさに“鉄の女”であった。
高い望みを次々に叶えていった仁粋大妃だが、晩年は苦悩が深まった。
暴君として知られる10代王・燕山君(ヨンサングン)は仁粋大妃の孫だが、彼の実母の廃妃・尹(ユン)氏が死罪となったことを恨み、仁粋大妃のせいだと思うようになったのである。
『王と妃』の終盤では、燕山君と仁粋大妃の葛藤が細かく描かれていた。

特に、燕山君が「母の墓前に追悼の酒でも捧げてほしい」と仁粋大妃に命令口調で言うと、彼女が「酒どころか毒薬を捧げてあげようか」と返すところが印象的だ。
この言葉で燕山君は怒り心頭になるのだが、仁粋大妃は堂々としていた。
しかし、現実はどうだったのか。

仁粋大妃は常軌を逸した燕山君から暴行を受けることもあった。それが元で亡くなったというのが通説だ。
栄華を誇った大妃としては、あまりに悲惨な最期であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

 

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コラム提供:チャレソ

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2020.07.30