1718年3月9日、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏(『トンイ』の主人公)が亡くなった。彼女が世を去ったとき、息子の英祖(ヨンジョ)は24歳だった。そして、異母兄の景宗(キョンジョン/張禧嬪〔チャン・ヒビン〕の息子)は30歳だった。2人とも19代王の粛宗(スクチョン)の息子であったが、世子の座は先に生まれた景宗が選ばれていた。
粛宗の思惑
景宗の場合、母の張禧嬪が罪人として死罪になっているので、いかに世子とはいえ安心してはいられなかった。
この頃の派閥闘争はどのようになっていたのだろうか。
張禧嬪が死罪となったことを契機に彼女の後ろ楯となっていた南人派は一掃されて勢力を失っていた。
その結果、西人派が政権を牛耳るようになったのだが、この派閥も意見の対立から分裂して老論派と少論派に分かれてしまった。
そして、淑嬪・崔氏が亡くなった頃は、粛宗が少論派を冷遇して老論派を重用するようになっていた。
こうした動きの中で英祖を支持する動きが活発になっていった。なぜなら、老論派には淑嬪・崔氏と英祖に好意をもつ高官が多かったからである。
この老論派は世子の景宗が病弱なうえに子供がいないことを攻撃するようになった。実際、景宗は30歳になっても子供が1人もいなかった。
このままでは王家の本流の系統が途絶えてしまう。危機感をもった粛宗は世子の景宗ではなく英祖に代理聴政(摂政)をさせようとした。
すでに60歳近くになっていた粛宗は、自分が亡きあとの王政の行方に最大の関心をはらっていた。
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