半地下に暮らす一家と、高台の豪邸に住まうIT社長一家の対比を描き、多くの観客を熱狂させた本作。筆者はこの作品を2019年10月の第24回釜山国際映画祭で鑑賞した。雨降る中での野外上映に思わずひるんだが、それでもチケット争奪戦の釜山国際映画祭で見られる幸運に突き動かされ、配られたカッパを着込んで公式グッズのブランケットを羽織り、客席へと向かった。
スクリーンから放たれた強烈なにおい
新しい。それが鑑賞直後の筆者の偽らざる感想だ。
貧しい一家と富裕層の対比はわかりやすい。高台の豪邸は目もくらむような陽光をいっぱいに浴び、煤けた半地下の住まいは昼なお薄暗い。黒澤明の『天国と地獄』そのものの世界だ。だが不思議なことに、富裕一家の暮らしはまるで絵に描いたセットのようで、存在感がなかった。さらには、半地下の一家はその貧しさにも関わらず、少しも不幸そうには見えない。個々の胸の内にはもちろんさまざまな感情がうずまき、それを象徴するシーンもあるのだが、それ以上に、筆者が感じたのは家族の結束力だ。ポン・ジュノ監督の2006年の作品『グエムル―漢江の怪物―』で感じた家族の強い絆が脳裏によみがえる。
新しい事業に手を出しては失敗する父親を、家族はだれも責め立てない。入隊前後に4度も大学入試に失敗した長男に、だれも諦めろとは言わない。宅配ピザの箱を組み立てる内職も、一家総出だ。健康そのものの、大のおとなが4人も揃っていて。
そんな家族にイラつき始めた観客の意表を突くように、彼らは大邸宅の富裕一家に寄生することを思いつく。だれが信じるのかと思うような素人芝居を、高台の人々は疑おうとしない。
ここで富裕一家の面々を見てみよう。IT企業を経営する夫、幼子のように疑うことを知らないピュアな妻。高校生の長女と小学生の長男。決して仲が悪いわけではないが、家族はバラバラに見える。お金持ちってこんな感じでしょ?といわれているようで、まるでリアリティが感じられない。妻を愛しているフリをする夫。いつも上の空の妻は家庭教師を雇うのも、家政婦を解雇するのも独断で決めてしまう。夫にも友だちにも相談しない。いや果たして友だちはいるのか?
妻からは事後報告だけで、夫は理由すら知らされない。思春期真っ只中のあやうさを振りまく長女はニセ大学生の家庭教師に夢中だ。そして半地下のにおいを敏感に嗅ぎ取る長男……。
このにおいこそが、この作品のキーワードだ。強烈なにおいを放つ男のからだの下から、必死で車のキーを取り出す夫。人間はにおいには意外と無防備だ。
我知らずイヤなにおいをかいでしまったとき、人は思わず顔をしかめる。それが何を誘発するかも知らずに。そして観客はその強烈なにおいを、決して嗅ぐことができないのだ。筆者は雨に混じる野外劇場の客席のにおいを、スクリーンから放たれた嗅ぐことのできないにおいと錯覚したのかもしれない。それはあまりにも新しい感覚だった。
文=青嶋昌子(あおしままさこ)
提供:韓流テスギ http://tesugi.com/