【時代劇が面白い】外交が巧みだった光海君(クァンヘグン)は暴君というよりも名君?

 

政治的に業績が多い王
1623年のクーデターは歴史的に“仁祖反正(インジョバンジョン)”と呼ばれています。また、かつて燕山君が王宮を追放された事件は“中宗反正(チュンジョンバンジョン)”と言います。“反正”には間違った政治を正すという意味があります。つまり、正道に反した王を追放することが“反正”なのです。
確かに、“中宗反正”は理にかなっています。燕山君はどうしようもない暴君でしたから、彼を追放することは“反正”です。

しかし、“仁祖反正”にはそれほどの大義名分がありません。個人的に光海君を怨んでいた人や王になりたかった仁祖がクーデターを起こしており、“反正”というよりも“政権乗っ取り”と考えたほうがいいでしょう。
結果的に仁祖の治世になってから、光海君を非難する論調が展開され、それが定説になって光海君は暴君のレッテルを貼られたのです。

しかし、歴史的に隠されていることを重層的に調べる学者が出てきて、光海君の評価もガラリと変わります。今では、「光海君は政治的に業績が多い王だった」と言われるようになりました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

 

コラム提供:チャレソ
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2020.01.01