日韓の二千年の歴史26/政変に揺れる朝鮮王朝

 

開化派の三日天下
朝鮮半島に平穏な日々は訪れなかった。「壬午軍乱」に乗じて日本と清が自国の権益を確保しようとして出兵してきたからだ。
両国がにらみ合う形になって、対立が深まった。
その最中に、興宣大院君が清に拉致されるという奇怪な事件まで起きている。そのまま興宣大院君は天津で拘束された。

この頃の朝鮮王朝では、「明治維新に成功した日本に学ばなければならない」という考えを持った開化派が台頭してきた。中心人物は金玉均(キム・オクキュン)で、彼は日本に留学して福沢諭吉の教えを受けた。
1884年12月、開化派は日本の後押しを受けてクーデターを起こし、一時的に王宮を占拠した。
この事件は「甲申(カプシン)事変」と呼ばれる。

王宮を占拠したことでクーデターは成功したように見えたが、黙っていなかったのが清だった。
「日本の支援を受けた政変を成功させてはならない」
清が武力で開化派を排除し、王宮占拠も「三日天下」で終わってしまった。金玉均は日本に亡命したのち、1894年に上海で暗殺された。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ロコレ
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2019.09.23