国王に成り代わって政権を主導した5人の黒幕は誰か。それは、韓明澮(ハン・ミョンヘ)、金祖淳(キム・ジョスン)、興宣大院君(フンソンデウォングン)、趙光祖(チョ・グァンジョ)、鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。
強権を握った3人
韓明澮(ハン・ミョンヘ)
[1415~1487年]
7代王・世祖(セジョ)が甥から王位を奪う際に策士として暗躍した。以後、政権の中枢を占めるようになり、世祖が世を去った後はさらに権力をほしいままにした。娘たちが7代王・睿宗(イェジョン)や8代王・成宗(ソンジョン)の正妻になっている。
金祖淳(キム・ジョスン)
[1765~1832年]
23代王・純祖(スンジョ)の正妻だった純元(スンウォン)王后の父。純祖が政治的に能力を発揮できないことを利用して、一族の者たちで要職を占めて政権を私物化してしまった。それによって、朝鮮王朝の政治は腐敗した。王朝の衰退を招いた元凶の1人であった。
興宣大院君(フンソンデウォングン)
[1820~1898年]
26代王・高宗(コジョン)の父で氏名は李是応(イ・ハウン)。“大院君”とは、自分は国王になっていないが息子が国王になった人に対する尊称である。息子の即位にともなって実権を掌握し、次々に政治改革を行なったが、ほとんど失敗した。1865年からは正宮の景福宮(キョンボックン)の大々的な復元工事を実施し、民を重税で苦しめた。
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国王に代わって国政を率いた2人
趙光祖(チョ・グァンジョ)
[1482~1519年]
11代王・中宗(チュンジョン)に重用され、国王に対して倫理観に基づいた儒教的な王道政治を説いた。一時は国王をしのぐ力を得たが、中宗の即位に功績があった高官たちを厳しく批判して多くの政敵をつくってしまった。結局は謀略によって失脚させられて死罪となった。
鄭道伝(チョン・ドジョン)
[1342~1398年]
朝鮮王朝を開いた李成桂(イ・ソンゲ)が一番頼りにした側近で、王朝創設期の基盤づくりに貢献した第一等の功臣だった。「朝鮮王朝を作った男」とも称される。
1398年、李成桂の八男の芳碵(バンソク)を支えて彼の異母兄たちを排除しようとしたが、五男の芳遠(バンウォン)に機先を制されて殺害された。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル