朝鮮王朝の「悲劇の五大王妃」とは誰か

 

悲劇の2人
◆仁顕(イニョン)王后
〔1667~1701年〕
19代王・粛宗(スクチョン)の正妻。粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛したために、彼女には何の落ち度もないのに1689年に廃妃となってしまった。しかし、1694年に復位。病弱で子供を産むことができず、1701年に34歳で亡くなった。時代劇『トンイ』では慈愛に満ちた王妃として描かれている。

◆明成(ミョンソン)皇后
〔1851~1895年〕
26代王・高宗(コジョン)の正妻。元来が聡明な女性で、政治にも積極的な関与。高宗の父の興宣大院君(フンソンデウォングン)と対立したが、ロシアに近づいて日本に対抗しようとした。1895年、日本の勢力によって王宮の中で殺害された。

コラム提供:チャレソ
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2019.08.14