朝鮮王朝で一番の聖女だった王妃は誰なのか?

謙虚で温厚な性格

<仇(かたき)をとる。同じように毒殺してやる>
思い詰めた洪国栄は孝懿王后の食事に毒を盛ろうとした。すでに彼は有能な重臣の面影もなかった。結局、王妃殺害計画が発覚して窮地に陥った。
正祖は改革の担い手として洪国栄に大きな期待を寄せていたのだが、おぞましい計画が露見するに至って、完全にこの男を見限った。
とはいえ、死罪にするのは忍びなかった。
すっかり人格が変わってしまったが、かつては功績の多い側近であった……そのことを考慮して、正祖は洪国栄を地方に追放するだけにとどめた。それは1780年2月のことだった。
普通に考えれば、孝懿王后が側室の暗殺をはかるわけがなかった。
なにしろ、彼女は謙虚でとても温厚な性格で知られていたのだ。誰からも尊敬される人徳を備えていた。


また、正祖の祖母となる貞純王后や母である恵慶宮(ヘギョングン)に心から礼を尽くした女性だった。
まさに、朝鮮王朝の王妃の中で一番の聖女であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ヨブル

http://yoble.jp/

 

朝鮮王朝で一番の悪女は誰なのか?

大妃(王の母)になって極悪人と化した「3人の巨悪王妃」とは誰か

国王よりも強かった「女傑の五大王妃」は誰か?

理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」とは?

悲劇の三大世子!昭顕(ソヒョン)世子・思悼(サド)世子・孝明(ヒョミョン)世子

朝鮮王朝の27人の国王の中で評判が最悪なのはこの5人!

2019.07.27