「コラム」「三・一独立運動」とは何か

大韓民国臨時政府
日本の官憲は強圧的に独立運動を取り締まり、7600人以上の死者が出たと言われている。
「軍事力だけでは民衆の反対運動を抑えることはできない」
そう痛感した朝鮮総督府は、その後は強圧的な武断統治を多少は改めざるをえなくなった。
一方、「独立の望みを断ち切ってはいけない」と痛感した独立運動家たちが上海で作ったのが大韓民国臨時政府である。なぜ上海だったかというと、当時は多くの独立運動家たちが上海に亡命していたのだ。

この大韓民国臨時政府は海外から朝鮮半島の独立運動を積極的に進め、日本の追及をかわしながら中国各地に拠点を移した。
しかし、独立運動は一枚岩になれず、組織が分散してしまった。それが、1945年8月15日に植民地支配から解放されても民族独自の中央政府を樹立できなかった理由の一つである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

コラム提供:ロコレ
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康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

康熙奉(カン・ヒボン)著『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(実業之日本社/900円+税)

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2019.03.01