「コラム」日韓の二千年の歴史2/広開土王の時代

百済からの寄贈
刀の表と裏には「刀を帯びる者は百の兵を撃退して、王になるほどの霊力を得られる」という文字が刻まれている。
1つの刀で何人もの敵を一度に撃退できる、という意味を込めて、刀身が複雑に枝分かれしているのだろう。
寄贈年の「372」が重要である。
その前年、百済は高句麗への総攻撃を成功させている。それまで軍事的に高句麗に圧迫され続けてきたのに、ようやく形勢を逆転できたのだ。
高揚感に酔った近肖古王は、中国大陸の東晋に使者を派遣して、高句麗に対して軍事的な優位に立ったことを報告している。

その際に、百済は東晋から国家として承認された。
「西の大国のお墨付きを得た。今度は東に目配せをしておこう」
近肖古王はそう考えたかもしれない。
彼は日本に使者を送って、「百済が高句麗を蹴散らして東晋と深い関係を持ったこと」を伝えた。
その際、百済の武力を示すために贈ったのが七支刀だった(現在は奈良県天理市の石上〔いそのかみ〕神宮の社宝となっている)。
まだ見ぬ未知の文物がおびただしく多かった時代である。奇妙な形の刀を贈られたヤマト政権は、百済に対する神秘性を膨らませたかもしれない。この時代は、「神秘性」こそが相手を畏怖する根拠になったと思われる。
(ページ3に続く)

2019.01.10