「コラム」連載 康熙奉(カン・ヒボン)のオンジェナ韓流Vol.52「1人2役に挑むヨ・ジング」

廃位となった国王

臨海君を支持する高官たちは一気に巻き返しに出た。さらに、宣祖の正室が息子を産み、後継者争いが激しくなった(臨海海も光海君も宣祖の側室から生まれていた)。その中で光海君は着実に力をつけ、宣祖が1608年に世を去った後に15代王となった。
ここから、光海君の本当の苦悩が始まった。王位は安泰とはいえず、光海君は兄弟たちとの激しい権力闘争に巻き込まれた。
その過程で、光海君派は臨海君を死罪にして、さらに光海君の異母弟を殺害した。この骨肉の争いが大きな怨みを買う結果となった。
ただ、王政の最高権力者として見ると、光海君には優れた指導力があった。国防を強化し、異民族との外交でも成果をあげた。内政面では、納税制度を改善して庶民の税負担を軽減させた。

政治的な業績だけなら名君と言われても不思議ではなかった。しかし、光海君によって排斥された人たちが1623年にクーデターを起こした。
そのクーデターは成功し、光海君は流罪となり、最終的には都から最も遠い済州島(チェジュド)に流された。先王としての尊厳を奪われたが、屈辱を胸にしまって島で生き続け、光海君は1641年に66歳で世を去った。
この光海君と、影武者になった道化師……その2役をヨ・ジングが1人でどのように演じ分けるのか。若き主演俳優の挑戦に注目したい。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

2019.01.05