三田渡の屈辱
3年後、朝鮮王朝は今度は北方の異民族の後金に攻められた。
このときも仁祖は、王宮から逃げて江華島(カンファド)に避難した。最後はなんとか和睦を結んで、朝鮮王朝は滅亡を免れた。
しかし、仁祖は後金を尊重するという和睦条件を守らず、相変わらず明のご機嫌ばかりとっていたので、後金は国号を清と変えた後の1636年12月に12万の大軍で侵攻してきた。
このとき、仁祖は漢陽の南側にある南漢(ナマン)山城にあわてて避難した。
南漢山城での籠城は40日あまりになり、ついに耐えきれなくなった仁祖は、漢江(ハンガン)のほとりの三田渡(サムジョンド)において、清の皇帝の前で、土下座のごとき屈辱的な謝罪をさせられた。
以上のように、3度も王宮から逃げて保身に執着した仁祖。民衆が強い不信感を抱いたのも当然だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル
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仁祖について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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