残虐な処刑
事実を知った燕山君は、あまりの怒りと悲しみで一晩中泣き続けた。
その涙をぬぐった彼が一番最初にしたことは、母を復位させることだった。それは父である成宗の判断を否定する行為であった。
宮中では反対する声が多くあがった。
しかし、燕山君は耳をかさなかった。
それだけではなく、母の死に関わった者、傍観した者、母の復位に反対する者の官職を剥奪し、片っ端から斬首にした。この命令は死者も例外ではなく、墓をあばき、その首をはねている。
燕山君が即位してから11年が過ぎた。
王の乱行がますますひどくなった。国を憂えた重臣たちが反乱を起こし、燕山君は王位を奪われた。代わって、燕山君の異母弟が後継者となった。これが11代王の中宗(チュンジョン)である。
王位を追われた燕山君は、島流しにされ、1506年にわずか30歳で絶命した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ヨブル
燕山君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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