仁祖について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)
今こそクーデター!
宣祖には25人の子供がいたが、そのうち息子は14人だった。長男は臨海君、二男は光海君だが、五男にあたるのが定遠君(チョンウォングン/1580~1619年)であった。
この定遠君も朝鮮出兵のときに功績をあげていた。彼には綾昌君(ヌンチャングン)という頭脳明晰な息子がいた。
「すばらしい青年だ。もし彼が王になったら、どんな善政をするだろうか」
そう評価されるほど綾昌君は評判が良かったのだが、光海君を支持する一派は綾昌君の存在そのものを極度に警戒するようになり、ついには謀反(むほん)の罪をかぶせて殺害してしまった。
「なぜ、罪もない息子を……。絶対に許せない」
綾昌君の父の定遠君は異母兄の光海君を恨みながら世を去った。
この悲劇で光海君を激しく憎んだのが、綾昌君の実兄の綾陽君であった。彼は父と弟を失い、光海君に対して復讐を誓った。
父の喪が明けたあと、綾陽君はすぐに行動を起こした。光海君に対して自分と同じように恨みを抱く人を集め、慎重にクーデターの準備を進めた。
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仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)の斬首を拒んだ?