即位式の冠服が間に合わなかった
晋城大君もようやく拒絶が不可能ということを悟り、最後になって申し出を受け入れた。これによって、クーデターは完全な成功で終わった。
晋城大君は気が進まなかったが、すでに自分の意思ではどうすることもできず、周囲にお膳立てをしてもらったうえで王宮に入った。
そして、11代王・中宗(チュンジョン)としての即位式に臨んだ。このとき、正式な冠服を着られなかった。あまりに急で準備が間に合わなかったのだ。それほど中宗の即位は異例だった。
王となった中宗は第一声を発した。
「近年、王が道理を失い、民心が窮していたのに余は救済できなかった。しかし、幸福にも文武の臣たちが朝廷と民に対する重責を担い、大妃の指示を仰ぎ、余が即位することになった」
中宗の最初の王命は大々的な恩赦令だった。凶悪犯を除いた罪人たちの多くが恩赦を受けて釈放された。
重臣から庶民に至るまで、誰もが「万歳!」と叫んで中宗の即位を歓迎した。燕山君の暴政が終わった解放感はこのように大きかった。
そして、中宗の妻の慎氏は端敬(タンギョン)王后になったのだが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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