息子の即位に反対した母
高官たちは、大妃(テビ/王の母)のもとに向かった。このときの大妃は貞顕(チョンヒョン)王后で、彼女は燕山君の継母であった。
彼女は1488年に成宗(ソンジョン/燕山君の父)の息子を産んでいる。それが晋城大君だ。燕山君から見れば12歳下の異母弟ということになる。
その晋城大君が王に推挙されたと聞いて、貞顕王后は難色を示した。我が子がクーデターによって面倒なことに巻き込まれるのを心配したのだ。
「あんな小さな子がどうやって重責を全うできるのか。もう少し成長してから、代を継ぐことを考えたほうがよいのではないか」
このとき、晋城大君は18歳だった。その若さを貞顕王后が憂慮したのである。しかし、クーデター派は重ねて説得し、とうとう貞顕王后が折れた。
「国の趨勢(すうせい)がこうなってしまったからには、また新しく始めることがよかろう。その通りにするがいい」
貞顕王后の許可を得て、高官たちは晋城大君を説得した。
しかし、彼は相変わらず拒絶した。
「朝廷のためにも、このような行動を起こすことは当然だが、私は実に不徳が多い人間だ。私に務まるとは、どうしても思えない」
高官たちは辛抱強く説得を続けた。
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