「コラム」『オクニョ』に登場!明宗(ミョンジョン)を早死にさせた文定(ムンジョン)王后

11代王の中宗(チュンジョン)の3人目の正室だった文定(ムンジョン)王后。彼女が中宗の子として産んだ明宗(ミョンジョン)は、1545年に13代王として即位した。明宗は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権のほとんどは母の文定王后が握っていた。

 

落書き事件
文定王后は、敵対勢力への迫害を続けながら自分たちの力を強化していった。その結果、国政が乱れ、庶民は不満を募らせていった。
そうした不満が爆発して事件が起こった。
漢陽(ハニャン/現在のソウル)郊外の壁画に、「上では、女が王の上に立って権力を握り、下では、奸臣たちが権力をかさにやりたい放題。このままでは国が滅亡してしまう。恐ろしいことだ」という落書きが書かれていた。
この出来事に文定王后が怒った。

「これを書いた犯人は誰だ! 絶対につかまえよ」
当時、文定王后の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が姉の威光で権力を手中にしていた。彼は悪女として有名な鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と組んで、様々な捏造事件を起こしていた。
「これは絶好の機会です。政敵が落書きを書いたことにして、奴らを徹底的につぶしてしまいましょう」
尹元衡は文定王后にそう進言した。(ページ2に続く)

2018.07.01