「コラム」『オクニョ』に登場!明宗(ミョンジョン)を早死にさせた文定(ムンジョン)王后

 

哀れな最期
文定王后と尹元衡は、様々な口実を作って反対派に厳罰を与えた。
結局、強大になりすぎた文定王后の一派を誰も止められず、国政は非常に不安定になっていった。
1565年、明宗が即位して20年が経った頃、文定王后は死の床にあった。彼女は最期のときを迎えても、信奉していた仏教の将来を案じていた。しかし、本来の国教は儒教であり、仏教は排斥の対象となっていた。

「この国では仏教は異端なので、私の死後、殿下はこれを禁止するかもしれません。でも、せめて宮中では私の意思を尊重してください」
文定王后はそう願いながら他界した。
こうなると、辛い立場に追い込まれたのが、尹元衡と鄭蘭貞だ。
2人は最大の後ろ楯を失って、身の危険を感じた。

すぐに王宮から逃亡。しかし、追手にビクビクする生活を続け、ついには自害せざるをえなかった。
実に哀れな最期だった。(ページ3に続く)

2018.07.01