「コラム」平昌五輪は韓国の地方文化を知る絶好の機会!

韓国ではソウルの一極集中が極端だ。人口の4分の1がソウルとその周辺に住むという過密ぶり。しかし、ひとたび地方に出ると、すばらしい風景と情感豊かな人々がいる。平昌(ピョンチャン)五輪は、そんな地方の魅力を知る絶好の機会となる。

 

あくまでも個人の資質
日本にも韓国にも、それぞれに多様性がある。
今までの日韓の関係は、この多様性を考えずにお互いを一刀両断に決めつける傾向があった。
韓国人が日本を語るときもそうだし、日本人が韓国を見るときも同じである。日韓はこれほど近い国でありながら、その多様性は隣国から理解されにくかった。
1億2700万人が住む日本と、5000万人が住む韓国。これほど多くの人たちが住む国を一言やふた言で軽々しく論じることはできない。

人を思いやることができる人間がいれば、他人を利用することしか考えない人間もいる。様々な人間がいて1億2700万人であり、多彩な考えが飛び交って5000万人なのである。
誰だって国という概念の中で一色に染められることを好まない。大事なのは、「くくられる」ことではなく、「自立する」ことだ。結局は、個人個人の問題。国民性を論じる前に、まずその人自身を語る必要があるだろう。
つまるところ、政治家は国益のために動かなければならず、企業家は会社の儲けのために働かなければならないとしても、その根底で問われるものは、あくまでも個人の資質だ。国民性という隠れ蓑(みの)に安住していてはいけない。
もっともっと、そこに住む人間を見てみたい。そうでなければ、不自由な思いをしてまで海外をまわる必要はなくなる。(ページ2に続く)

2018.02.12