人間の暗部や格差社会の問題を起点にした社会派アニメーターとして韓国を牽引し、初の実写映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』が日本でも公開され話題を呼んでいる鬼才ヨン・サンホ監督。そんなサンホ監督の長編アニメ2作目にして、世界各国の映画祭で高評価を獲得した映画『我は神なり』が、10月21日(土)より公開となります。この度、ヨン・サンホ監督のインタビューが到着致しました。
Q.監督自身がこの作品で追及しようとしたテーマ、思いをお教えください。
記憶をたどってみると、この作品を書いた時は、エセ宗教を通じて、人間の信念の本質のようなことを問いかけてみたかった気がします。「果たして人間は信念がなくても生きることができるのか?」。あるいは、「間違った信念を持った人をあざ笑う権利が、私たちにはあるのか?」など、人間が持っている信念、信頼の本質について問いかけたかったのです。
Q.『我は神なり』は実写映画を想定してシナリオを書いたそうですが、長編アニメーションで表現した理由をお教えください。また、『新感染 ファイナル・エクスプレス』という実写の傑作を撮り終えた今、今後はどのように実写とアニメーションを撮り分けていこうと考えていらっしゃいますか?
韓国のアニメーション産業はとても小さいんです。また、私のように大人を対象としたアニメーションを作る人間は、ほぼ皆無といっても言い過ぎではないでしょう。私はもともとアニメーションの監督ですので、自分の作品をすべてアニメーションとして作るのが夢でした。しかし現実的な様々な問題で、アニメーションだけに固執するのは難しい状況でした。それで、『我は神なり』を実写映画として作ろうかとも考えたのです。しかし、実写映画としても投資が集まらない中、非常に低予算で『The King of Pigs』をアニメーションとして製作する機会が巡ってきました。そこから、『我は神なり』のアニメ化が自然に実現したんです。現在は実写映画の『新感染 ファイナル・エクスプレス』が、私の作った3本のアニメーション作品より興行成績がよいため、投資者の立場ではリスクの大きなアニメーション作品より実写映画を強く勧める状況です。しかし、今後もよい機会があれば当然、アニメーションを作り続けたいと思っています。
Q.『我は神なり』は、ダム建設で水没を運命づけられた村という舞台の設定がとても印象的です。この映画の世界観を、どのようにイメージを膨らませて作ったのでしょうか。
『我は神なり』の舞台である韓国の田舎の村は、十数年前までは「温かくて人情の厚い」という言葉で語られる場所でした。しかし、ポン・ジュノ監督の『殺人の記憶』以降、韓国の田舎の村の持つ不気味なイメージが台頭し始めました。私も『我は神なり』で、一件スリラーと似合いそうにない田舎野村という設定で、怪しげな雰囲気を作ることができるだろうと思いました。また、最初に設定を考える時、この村を「終末が運命づけられた村」にしたいと思いました。そして、現実の世界において「村の終末」とは何だろうと悩んだ末に、ダム建設による水没予定地域の村という設定にたどり着きました。そのことが、村の住民たちの感じる喪失感や疎外感の底にあるのです。
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