当時、韓国でインディーズ映画を紹介する番組のアシスタントMCや、演技を教える講師の仕事もしていたが、全てが面倒になってしまって、それをやめる理由として、“シナリオを書くから”というのを上げたといい、偽りの理由であったものの、実際にやめてみたら、このシナリオが自分の心の中にスッと入ってくるところがあり、オープニングシーンを膨らませ、それから一行書いては時間をあけ、また書いてはと繰り返し、2ヶ月半かけて仕上げたのだと話した。また「幼かった頃は、暴力的な大統領がいた時代であり、当時は暴力によって影響を受けた社会が存在していました。もどかしい状況に囲まれていて、無意識のうちに、それをなんとか解消したいと思っていたが、それがこの作品となって解消することになりました」と自身が見たことや経験した事を書き連ねたのだという。
さらにキャスティングについては、「当時は本当にお金がなかったんです。最初キム・コッピさんの役は、他の女優さんを思い浮かべながらシナリオを書いたんです」と切り出し、その女優で撮影に入ろうとしたが、相手が提示した金額と、自分が用意していた金額に差があり、予算をオーバーするわけにもいかず、以前短編映画で強く印象に残っていたキム・コッピをキャスティングすることにしたのだと、意外な経緯を明かした。
これまでにキャスティングする際には、仕事をしてきた中で出会った人、一緒に作品をしたことがある人、俳優として無名だった頃に出会った人たちなど、身近にいる俳優から探すことが多かったという。(4ページに続く)