進められた皇民化政策
朝鮮総督府は徹底的にデモや集会を取り締まり、最終的には7600人以上の死者が出ました。
この事態に朝鮮総督府も衝撃を受けました。軍事力だけでは抗日運動を抑えることが難しい、と実感させられたのです。
それ以後は、朝鮮総督府も強圧的な武断統治を改めざるをえませんでした。
言論や集会の制限もややゆるめられ、民族資本の経済活動が部分的に許容される場合もありました。
一方、思想的に朝鮮半島の人々を日本に同化させる政策も進められました。
その一環として1925年10月15日に竣工したのが、京城(ソウル)の朝鮮神宮でした。
祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と明治天皇でした。
この神宮が造営されたのは、朝鮮半島で天皇崇拝を浸透させるためでした。朝鮮半島の各地にはさらに60余の神社が建てられました。
こうして、朝鮮半島の皇民化政策が積極的に進められていったのです。
(後編に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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