主人公のテギルとはどういう人物?
〔解説4〕その後の張禧嬪は?
『テバク』で淑嬪・崔氏をいじめた張禧嬪は粛宗の怒りを買ってしまい、1694年に王妃から再び側室に降格してしまった。その後の張禧嬪のことが『テバク』では描かれていないが、彼女は、王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后を呪い殺す儀式をしたことをとがめられて、1701年に死罪となっている。彼女の産んだ粛宗の長男が20代王・景宗(キョンジョン)である。
〔解説5〕景宗と英祖の関係は?
粛宗の後継者争いは派閥を巻き込んで混迷した。1688年に張禧嬪が産んだ景宗と、1694年に淑嬪・崔氏が産んだヨニングン(後の英祖)が争ったが、張禧嬪が罪人として死罪になった後も、景宗が世子(セジャ/王の正式な後継者)であることは変わらなかった。しかし、英祖は王になることをあきらめなかった。
〔解説6〕主人公のテギルとは?
実は、淑嬪・崔氏はヨニングンを産む前年の1693年に粛宗の息子を産んでいる。名前は永寿君(ヨンスグン)と言う。しかし、2カ月あまりで早世してしまった。この永寿君が死んだのではなく捨てられたのだ、と設定にして物語を作ったのが『テバク』である。捨てられた永寿君が淑嬪・崔氏のかつての夫に育てられてテギルになるというのが、『テバク』の重要な設定になっていた。
〔解説7〕テギルは実在した?
残念ながら、テギルは架空の人物である。史実では、永寿君は捨てられたのではなく、乳児の間に死んでしまっている。名前には「永寿」という長寿を連想させる漢字が入っているのに、実際はあまりに短命だった。しかし、「実は生きていた」という『テバク』の設定は面白い。実際、そういう設定がストーリーを大きく動かしていた。(ページ3に続く)