骨肉の争いの末に
定遠君は、豊臣軍の朝鮮出兵(1592~1598年)のときに功績をあげた王子であった。
この定遠君には綾昌君(ヌンチャングン)という優秀な息子がいた。
「あんな青年が王になればいいのに……」
そんな声が起こるほど評判が良かった。
危機感を覚えたのが、王位についた光海君(クァンヘグン)とその一派であった。
光海君は宣祖の二男でありながら1608年に王位に就き、兄弟たちと骨肉の争いを起こしていた。
そうした混乱に綾昌君も巻き込まれた。彼は光海君を支持する派閥(大北派と称した)から非常に警戒され、結局は謀反の罪を捏造されて殺されてしまった。
大事な息子を失い、父親の定遠君は悲しみの中で世を去った。(ページ3に続く)