『龍の涙』の描き方
1398年に起こった「王子の乱」で、鄭道伝はさんざん逃げまくったあげくにとらえられ、みじめなほど取り乱して「殺さないでください」と哀願し続けたと言う。そこでは、情けなく命乞いする姿が強調されている。つまり、朝鮮王朝の基盤づくりに貢献した高潔な人物が見苦しい姿をさらし続けたというのが『朝鮮王朝実録』の言い分だ。
この記述に疑問を持つ人は意外と多いようで、たとえば朝鮮王朝時代初期の出来事を扱ったドラマ『龍の涙』は、鄭道伝の最期は『朝鮮王朝実録』とまったく違う形で描いている。
敵の軍勢に囲まれた彼は潔く出てきて、「今後協力してくれるなら命を助ける」と助命をほのめかされても、それを拒否して堂々と死んでいった。その場面に「鄭道伝ほど朝鮮王朝に貢献した人物はいなかった」というナレーションが重なる。まさに、鄭道伝の名誉を最後まで守る描き方だった。
真実はどうであったのかが今ではわからないが、多くの人は『龍の涙』の描き方に納得しているのではないか。
鄭道伝が威厳をもって堂々と死んでいく場面は、『朝鮮王朝実録』とは正反対であり、視聴者たちの総意を制作側がくみとったものであったのかもしれない。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
コラム提供:ロコレ
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