日韓共同製作ドキュメンタリー映画「李藝(りげい)-最初の朝鮮通信使」でナビゲーターに抜擢され来日、ドラマ「太王四神記」ヨン・ホゲ役のユン・テヨンに単独インタビュー!!

 

ドラマ「太王四神記」で一躍韓流トップスターとなり、日韓共同製作ドキュメンタリー映画「李藝(りげい)-最初の朝鮮通信使」でナビゲーターに抜擢されたユン・テヨンが完成報告試写会&舞台挨拶 のために来日。

 

2007 年、MBS ドラマ「太王四神記」でペ・ヨンジュンが演じる主人公・タムドクと敵対する ヨン・ホゲ役を演じ、成熟した演技とカリスマ溢れる姿で絶大な評価を受けたユン・テヨン。映画「李藝(りげい)-最初の朝鮮通信使」のこと、そしてドラマ「太王四神記」のエピソードなど、来日の忙しい合間をぬって都内でKorepoのインタビューに応えてくれた。

 

部屋に入ると、スラリとした長身にスーツ姿のユン・テヨンが、「こんにちは、よろしくお願いします。」と流暢な日本語で挨拶をし、優しい笑顔で迎えてくれた。

圧倒的な存在感とオーラは健在で、質問にはひとつひとつ丁寧に答えるユン・テヨン。

 

途中でジョークも混じりながら終始和やかなムードでインタビューは行われた。 「李藝(りげい)-最初の朝鮮通信使」でナビゲーターとして出演したきっかけについてユン・テヨンは「オファーをいただいてから、作者の金住先生を始めスタッフの方が韓国まで来てくれて、一緒にやってみないかというお話しをいただきました。それから原作の本を読んでみて、韓国と日本の交流について考えるようになり、今作への出演が日韓関係に役立てるのではないかと思って出演を決めました」と、日韓の関係についての思いを込めて話した。

 

撮影の中で特に心に残った思い出やエピソードについては、「撮影してから7~8カ月経つので…。(振り返りながら)とても楽しく撮影できたと思います。僕にとっては意義深い旅となりましたし、600年前の通信使“李藝”が実際に巡った場所を旅することができたことだけでもうれしかったです。エピソードというよりは、常にスタッフと楽しんでいました。」と語るユン・テヨン。

 

 

また、続けて「 日本のスタッフと一緒にお酒でも飲めれば良かったのですが、撮影のためにできなかったことが残念ですがとにかく楽しかったです。日本の“旅館”にも泊まりましたし…。(行く先々で)多くの人が僕に気付いてくれたし…。(いつものように)東京、大阪、福岡のような都心でおいしいお店に行くのとは違って、地方に行って郷土料理も食べてという旅は、一生に一度できるかできないかのことだと思うので、本当にいい経験ができました」と、感慨深く語った。

 

現代の通信使だったら、どんな韓国の文化を日本に伝えたいと思うのか聞いてみると、「今すでに通信使がたくさんいると思います(笑)。僕はそういった人たちの下にいるほうなので(笑)。日本に何ヶ月かいて、日本の方たちは韓国がとても好きなんだということを感じました。韓国の料理やドラマ、映画などもそうですが、すでに十分に韓国の文化に接していると思います。韓国にもたくさん来てくれているので、僕が紹介することは何もないような気がします(笑)。僕はただ良い作品に出演するといったコンテンツを提供することが大事なのではないかと思います」と謙虚なユン・テヨンらしい答えが返ってきた。

 

逆に日本から学びたいと思う文化について訊ねると、「親切なところです。 みんなが本当に親切 (日本語で)。京都へ行った時にどうして親切なのかと尋ねたら“(親切には)裏がある”と冗談でそんな風におっしゃっていました。おもてなしの文化があるので、来たお客さんのために親切にならざるを得ないと聞き、本当に驚きました。韓国とは国民性が全く違うのだと感じました。良い点をお互いに学び会えたらいいのではないかと思うし、そうすれば500年、600年後にはよりよい関係が築けているのではないでしょうか。友人や夫婦の関係でもそうじゃないですか。それと同じだと思います。」と、韓国と日本の文化の違いについての思いを語った。

 

撮影前と撮影後の心境の変化については、「撮影前はただ朝鮮通信使が辿った道を行くんだなとしか思っていませんでしたが、撮影が始まってからは多くのことを考えるようになりました。家にばかり閉じこもっていたり、家と職場の往復をしたりするだけの生活をしている人は、世界にこんなに多くの人がいることを分からないじゃないですか。どんな所があるのかも分からないし…。

しかし本当にたくさんの人が各地で一生懸命生きている姿を見て、国と国との関係がどんなに大切かということを感じました。きっとそれに気付いていない人も多いと思います。国対国で考えてみると、政治家も芸術家も本当に多くのことを考えなくてはならないと思いました。難しい話ですね(日本語で)。」と話し、撮影を通して感じた思いがしっかりと伝わってきた。

 

小さい頃に日本に住んでいたというユン・テヨン。撮影のために日本語を勉強したが、日本語が上手なのは住んでいたことも関係しているのかと訊ねると、「4歳から6歳ぐらい…、2年間ぐらい東京に住んでいました。その時私は本当に小さかったですから(日本語で)。あまり覚えていないですよ。それ以降は1度も日本に来ていなかったと思います。僕はアメリカに留学もしていましたし…。父は96年から99年まで仕事で日本にいましたが、俳優の仕事を始めていたので僕は来られませんでした。言葉もほとんど忘れてしまったのですが(笑)。当時は小さかったので早く覚えられたと思います(笑)。」

 

そして今作で、「日本語は4カ月ぐらい勉強しました(日本語で)。子供の時に日本にいたので他の韓国人よりは発音は上手かもしれません。でもひらがなはいいのですが、漢字は絶対無理ですね(笑)。」と、笑

2013.04.16