側室となった趙氏
仁祖から愛された趙氏は側室となり、娘の孝明(ヒョミョン)を産んだ。仁祖は、初めての娘である孝明をとても可愛がった。なぜなら、彼と仁烈王后の間に生まれた子供はすべて息子だったからだ。
朝鮮王朝では、王は王妃に先立たれてしまった場合、可能な限り早く再婚することが義務付けられていた。仁祖の最初の正室である仁烈王后はすでに世を去っている。そのため、仁祖は新しい正室を迎えなければならない。しかし、趙氏を寵愛していた仁祖は再婚する気配を見せなかったが、高官たちから早く新しい正室を迎えるように何度も催促されて、仕方なく結婚することを受け入れた。
それを聞いた高官たちは、全土に禁婚令(王の結婚が決まるまで10代後半の女性の結婚を禁止すること)を出した。
そうなると両班(ヤンバン)の家では、10代後半の未婚女性の名簿を出す義務がある。しかし、仁祖にはすでに3人の息子がいて趙氏だけを愛しているという理由から、どの家も名簿を出そうとしなかった。
その状況にあせった高官たちは、候補者の対象年齢を13歳に下げた。その結果、1638年10月に新たな正室として迎えられたのが、当時14歳だった荘烈(チャンニョル)王后だ。それでも仁祖は趙氏を寵愛し続けたため、荘烈王后は王の愛を受けることができなかった。(3ページに続く)