元敬王后の一族に起きた悲劇
太宗が元敬王后を冷遇した理由は、「王朝を存続させるためには、外戚の力を弱める必要がある」と思っていたからだ。その対象になったのが元敬王后の実家である。太宗は、元敬王后の兄弟たちが大出世を果たしたことを脅威に感じていた。そのため、彼は1410年に王妃の兄2人と弟2人を処刑して、元敬王后の実家を没落させてしまった。
そのような悲劇を受けて、立ち直れないほど落ち込んだ元敬王后は、太宗に激しい憎しみを抱いた。
太宗の側近たちは元敬王后の廃妃を主張したが、彼は息子を4人も産んでくれたことや王になる過程で自分を支えてくれたことを高く評価していた。
元敬王后が産んだ息子は、長男の譲寧(ヤンニョン)大君、二男の孝寧(ヒョニョン)大君、三男の忠寧(チュンニョン)大君、四男の誠寧(ソンニョン)大君だ。
朝鮮王朝には「王の後継者は長男がなる」という決まりがあった。そのため、長男の譲寧が王の後継者に指名されるが、彼は頻繁に宮殿を抜け出すなどの行為を繰り返して後継者の座を剥奪されてしまう。さらに、二男の孝寧も僧侶となることで後継者の座を辞退した。それにより、幼いころからずっと本ばかり読んでいた聡明な三男の忠寧が王の後継者となった。
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