「コラム」第12回最悪の暴君・燕山君(前編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史」

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第12回/最悪の暴君・燕山君(前編)

 

朝鮮王朝の第9代王であった成宗(ソンジョン/在位1469~1494年)は、名君と讃えられた。庶民は成宗へ畏敬の念を抱き、平和な暮らしがいつまでも続くよう願った。しかし、願いは、はかなくも砕け散る。1494年、成宗が亡くなり燕山君(ヨンサングン)の治世が始まったからだ。

わがままな性格

燕山君は、1392年から1910年まで518年続いた朝鮮王朝で、最悪の暴君だったと言われている。

成宗の長男として1476年に生まれた。7歳で世子(セジャ/王の後継者)に指名され、18歳で即位した。

燕山君は幼くして母を失ったために、寂しい少年期を過ごした。そうした生活の中で、彼はわがままな性格になった。燕山君を取り巻く周囲の人たちが、彼の性格を憂慮していたという話は数多く残されていて、代表的なのは次の2つだ。

ある日、成宗は帝王学を授けようと燕山君を呼び出した。すると、燕山君の前に1頭の鹿が現れ、彼の手の甲や服をなめた。

その鹿は成宗が最も目をかけていた鹿だったのだが、手の甲や服を汚されたことに腹を立てた燕山君は、怒りのあまり成宗の目の前で、その鹿を殴りつけた。その光景を見た成宗は非常に怒り、燕山君をきつく叱った。

しかし、執念深い燕山君は即位するとすぐにその鹿を殺してしまった。(2ページに続く)

2016.11.05