「コラム」第2回 百済の歴史(後編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史2」

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第2回/百済の歴史(後編)

3世紀の中頃には中央集権的な国家の基盤をしっかり整備し、4世紀後半には朝鮮半島の南岸にまで領土を広げることに成功した。こうして百済は、高句麗、新羅と覇を競う三国時代の一角を担うようになった。

 

豪華絢爛たる王朝文化

当時の百済にとって悩みの種は、南下を狙う高句麗の存在だった。両国は漢江の流域で激しい戦闘を続け、お互いの王までも戦死するという悲劇を繰り返していた。

そうした戦いの様子はペ・ヨンジュン主演の『太王四神記』でもひんぱんに描かれていた。

漢江流域に都があると戦乱に巻き込まれるのは明白であり、百済としても、より安全な土地に遷都する必要性を痛切に考えるようになった。

そこで、百済は475年、都を熊津(ウンジン/現在の公州〔コンジュ〕)に移した。

501年には第25代目の武寧王(ムニョンワン)が即位し、その治世は523年まで続いた。

この頃が百済の黄金期で、当時は中国大陸の影響を強く受け、豪華絢爛たる文物に彩られた王朝文化を花開かせた。

(2ページにつづく)

 

2016.09.02

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