「コラム」第2回 百済の歴史(後編)/康熙奉(カン・ヒボン)の「簡潔に読む!韓国の歴史2」

『薯童謠(ソドンヨ)』の主人公

百済は、日本との交流も活発に行なっており、第26代目の聖王(ソンワン/日本では聖明王と呼ばれている)は、538年に日本の朝廷に仏像や仏教経典を贈っている(それは552年だったという説もある)。これが日本に仏教が伝わった始まりとされている。

また、聖王は538年に都を現在の扶余(プヨ)に移すという大事業を行なっている。ただし、554年に新羅との戦いの中で非業の死をとげてしまった。

百済では、戦死した王が何人もいるのだが、それだけ陣頭指揮をする王が多かったのである。

600年には第30代目の武王(ムワン)が即位した。この王は時代劇の『薯童謠(ソドンヨ)』の主人公になっており、今の韓国で特に有名な百済王である。

歴史書の『三国遺事』には、新羅の善徳(ソンドク)女王の妹である善花(ソンファ)と武王が結婚したというロマンスが書かれている。

実際、その話をベースにして『薯童謠』は企画されたのである。

ドラマのタイトルになっている「薯童謠」とは童謡のことだが、武王は歌が大好きだったようで、ひんぱんに宴会を開いては、自ら鼓を打ち、琴を弾き、上機嫌で歌ったという。また、実際の武王が偉大な王であったことは間違いなく、『三国史記』にも武王は「風貌や行動が立派で、豪傑でもあった」と最大級に称賛されている。

こうした武王の威光があるうちは黄金時代が続いたが、盛者必衰は世の常である。

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2016.09.02