第7回 日本で外国人として生きていくこと
日本社会に壁を感じた
日本へ移り住んでから10年近くになります。当時、取引先のお客さんだった日本人から「会社を立ち上げようと思いますが、日本で一緒に仕事してみませんか」と誘いがありました。
そのとき、外国で仕事しながら暮らしたいという夢が叶ったと喜びました。
さらに、日本では語学研修で1年半生活した経験もあるし、東京は1人暮らしをするのに住みやすい都市だし、仕事の内容や流れもある程度わかっていたし、迷う理由がありませんでした。
しかし、いくら日本語が話せても、実際に日本の社会に入ってみたら戸惑うことが多かったです。
第一は、言葉の問題でした。
辞書に載っていない固有名詞が常に会話の邪魔をしました。文部科学省が出題する日本語能力試験1級テストにも出ない単語が続々と出てくるのです。
初仕事で上司から「赤帽が届いたら佐川で荷物を出してください」と言われたときは、
「えっ、アカボウってなんですか? サガワは?」という状態。赤帽は軽トラックのことで、佐川は宅配便の会社だよと上司は親切に教えてくれましたが、私の中では日本社会という文化に壁を感じるようになりました。
人間関係で悩むときがある
単なる勉強不足でしょうが、「日本でしか通じない会社名を外国人が知るわけがない」と自分を慰めながらも、心に穴がポツポツとでき始めました。その穴は、「私は外国人だなあ」という強い自覚からくるものでした。会社の内部では、なんでも質問ができる甘えた雰囲気がありましたが、私に話すときはみんなが言葉を選んでいる様子が漂うと、1人で落ち込んだりもしました。
外に出れば、私が外国人だからといって甘えられる世の中ではありません。
「もし会社に迷惑でもかけることになればどうしよう?」
自分なりに焦りもあり、恥ずかしい思いもしました。10年も経った今は、ある程度余裕ができたものの、数十年前に日本でブレイクした歌やドラマを話題にして盛り上がる席では、そばでへこんでばかりいます。
無人島にいるような感じです。
第二の問題は、やはり人間関係ですか。
国を問わずどの会社に入って仕事をするにしても、人間との交流が欠かせません。お互いに、性格や仕事に対するポリシーを把握するまでは時間がかかります。
意見が合わなければ、それは性格や考え方の差から生まれてくる溝なのに、「ひょっとして文化の差からくるものではないかな?」と疑う自分がいました。
どうしても自分が逃げているとしか思えませんでした。
「叶った夢に対して最善を尽くしたか」
自分にそう言い聞かせるようになりました。
日本を離れることはできない
ここで諦めれば夢なんて持てなくなるだろうし、今後何のために生きていくのかわからなくなるので、「初心を忘れまい! 残りの人生は異国で刺激を受けながら過ごしたい」と強く思いました。
「マンネリの生活や馴染んだ環境から離れたい」
「歳を取っても新しい経験が待ち受けていてなにが起こるかわからない世界で、異邦人でいいから暮らしてみたいと思ったんじゃないか」
そう思いました。
さらに、「それなりの戸惑いや失敗・トラブルなど予期せぬ壁は付きもの。それがあるからこそ日々緊張感があり、斬新さもある!」とも考えました。
自分をコントロールしているうちに仕事を通じて素敵な男性にも巡り会い、結婚もできました。けれど、3・11の大震災と原発の恐怖は二度と経験したくないです。
告白しますが、結婚さえしていなければ、荷物を片づけて仕事を辞めて帰国していたと思います。
「責任がない」「どうせ外国人だからしょうがない」といった非難の声もあがるでしょうが、私には日本から離れる外国人のキモチが十分理解できました。仕事より1回きりの命がもっと大事だという言い分を否定できません。否定すればうそです。立場の違いからくる見方だと思います。
しかし、私は日本から離れないことを決めました。
当然でしょうが、日本人の配偶者をもった女性として1人で日本を離れることはできませんでした。ずっと日本で外国人として生きていくという気持ちが強かった上に、あの震災からはさらに「日本人の男性の妻として生きていく」という自覚が芽生えてきました。良い変化だったと思います。
文=スヨン
コラム提供:ロコレ
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